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 ※このblogは、「愛・蔵太の少し調べて書く日記」の別館です。
 ※しばらく「世界史@2ch掲示板」の中から、コメント100越えてて面白いものを紹介する場所にします。(2007年1月30日)



 えー、本日も一杯のお運びで、厚く御礼申し上げます…と、最近ポッドキャスティング落語を聞いているわけですが(→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060603#p3)、柳家小太郎『鹿政談』を聞きまして、少し気になることがあったので調べてみました。
 とりあえず、ここに行けば拾えます(2005年10月5日)。
ぽっどきゃすてぃんぐ落語
10月5日  「鹿政談」 柳家小太郎
 で、どういう話かというと、ここのテキストを見ればわかります。
【上方落語メモ第3集】その112 / 鹿政談
 まぁもともとは上方落語で、要するに奈良の鹿をあやまって殺してしまった豆腐屋の爺さんが、「鹿殺しは死罪」という当時の罪に問われてお白州で取調べを受けたところが、時の名奉行が「それは鹿ではなく犬である」と言って無罪にする、という話です(ものすごい要約)。
 で、この「時の名奉行」が誰だったのか、という話をします。
 最初の引用元では、このように書かれています。
【上方落語メモ第3集】その112 / 鹿政談
主な登場人物】
 豆腐屋六兵衛  奈良町奉行・曲淵甲斐守(まがりぶちかいのかみ)
 目代屋敷鹿の守役・塚原出雲  興福寺の伴僧(ばんそう)良念
 町役連中  六兵衛の女房ほか

 この「曲淵甲斐守」というのも面白い奉行で、ちょうど大岡越前守と遠山の金さんの間ぐらいに、江戸北町奉行をやるわけですね。
奉行の人事異動
南町奉行所 大岡越前守忠相 享保 2(1717) 2.3〜元文 1(1736)8.12
北町奉行所 曲渕甲斐守景漸 明和6(1769)8・15〜天明 7(1787)6.1
北町奉行所 遠山左衛門尉景元 天保11(1840)3.11〜天保14(1843)2.24

 他にどんなことをしたかというと、こんなお話とか。
【傑作時代劇スペシャル】魔の紅蜥蜴
老中田沼意次の大陰謀に町奉行・曲淵甲斐守、そして瓜二つの素浪人・白旗弓之助が天誅の剣をふるう波乱万丈の巨篇。市川右太衛門が二役主演。天明六年、江戸城中桔梗の間に新番四百石佐野善左衛門は時の老中・田沼主殿頭意次に刃傷、かすり傷を負わせた。多年に渡る意次の悪政に対する死の抗議であった。大岡越前守以来の名奉行と噂の高い曲淵甲斐守、松平越中守の情けの取り計らいもむなしく、将軍・家治は佐野一族の追討を命じた。かくて、佐野一族は滅亡したかに見えたが、善左衛門の妹・菊絵だけは曲淵甲斐守と瓜二つの浪人者・白旗弓之助によって救い出され、亡き兄の遺志を継ぐ決意をするのだった。原作は国枝史郎「銅銭会事変」。TV初・ビデオ未発売・ニューマスター。

 こんなお話とか。
お奉行さまと娘たち -- キネマ旬報DB/ Walkerplus.com
町奉行曲淵甲斐守の御曹子圭四郎と、その腰巾着ガッテンの半公二人は“天誅”疾風一族と記された紙片をつけられて谷中の五重の塔に縛りつるされている二人の侍を発見、これる助けようとしたところ捕物小町お美代に疾風一族と間違えられ伝馬町の牢へ放りこまれてしまった。疾風一族というのは、当時悪名高い大名、商人ばかりを襲う義賊であった。父甲斐守の苦い顔も知らぬげに、圭さん主従が新しい根城に選んだのは牢で知り合った巾着切りの亀吉の紹介によるカピタン長屋であった。(後略)

 昔の時代劇は面白そうです。とりあえず名奉行だったみたいです。
 ところが、柳家小太郎の『鹿政談』の中では、この奈良奉行の名前は「松野河内守」になってるんですね。
 そこで、こんなのとか。
落語界の住人人気投票
第20位 ... 55 票 (.8% - 6 - 2) ... 鹿政談の奈良奉行
..........うーむ、マニアックだね。
..........鹿政談のオリジナル版の奈良奉行。普通は根岸肥前守だけど小三治師匠や露乃五郎師匠は松野河内守でやっています。

 要するに、柳家小太郎さんのそれは傍流という感じでしょうか。(補足:柳家一門としては「松野河内守」が正統ということかも)
 実は、松野河内守というのは忠臣蔵、というか忠臣蔵実録のほうで有名な人なんです。
 こちらのほうに別ヴァージョンの『鹿政談』があります。
「鹿政談」
 このころ、奈良のお奉行さまはと申しますと、松野河内守さま、後に大阪の町奉行におなりあそばして、あの忠臣蔵赤穂義士との夜打ちの道具をこしらえました天野屋利兵衛をお裁きになった後、江戸表へおたち帰りになって、江戸の町奉行におすわりになった方。

 時代的には、「曲渕甲斐守」よりさらに60年ほど前の江戸北町奉行だった人です。
奉行の人事異動
北町奉行所 松野河内守助義 宝永 1(1704)10.1〜享保 2(1717)2.2
北町奉行所 曲渕甲斐守景漸 明和 6(1769) 8・15〜天明 7(1787)6.1
南町奉行所 根岸肥前守鎮衛 寛政10(1798)11.11〜文化12(1815)11.9

 ただ、この話を「松野河内守」の時代の話だとすると、少し矛盾が生じるんです。
「鹿政談」
(前略)
「意趣のあろうはずがございません。朝起きて・・・・豆ひいとりました。表の方で大きな音がいたしました。見ると、赤犬がきらず食べとります。二度三度追いましたが、向うへ行ってはくれません。ネキにあった割木をとって放りました。たしかな手応え・・・・近寄り見れば、犬ではあらで、これなる鹿、南無三無、薬はなきかと、懐中を探ってみれば情なや・・・・」
これ、それは『忠臣蔵』六段目である。逆上いたすな。ン・・・・ン・・・・ウン・・・・鹿とは存ぜぬ、犬じゃと思うたとあるか。ならば、奉行もいまいちど、死骸をあらためみよう。コレ、死骸を持て」
(後略)
サイト管理者のコメント

 最初、奉行の松野河内守の説明で、「天野屋利兵衛をお裁きになった後」とあるのに、六兵衛が、忠臣蔵を洒落たのに対し、「これは『忠臣蔵』六段目である」と指摘してます。
 えらい矛盾です。当時、演者は気づかなかったのかなぁ?

 忠臣蔵(仮名手本忠臣蔵)のモデルになった人が、忠臣蔵の芝居の話をするのは無理ですね。
 『忠臣蔵(仮名手本忠臣蔵)』六段目の、『鹿政談』に出てくるセリフの部分は以下の通りです。
仮名手本忠臣蔵 - Wikipedia
「仮名手本忠臣蔵・五段目・六段目」
 夜前弥五郎殿の御目に掛かり、別れて帰る暗紛れ、山越す猪に出合ひ、二つ玉にて撃ち留め、駆け寄つて探り見れば、猪にはあらで旅人、南無三宝誤つたり。薬はなきかと懐中を探し見れば、財布に入つたるこの金。道ならぬ事なれども、天より我に与ふる金とすぐに馳せ行き、弥五郎殿にかの金を渡し、立ち帰つて様子を聞けば、撃ち止めたるは、撃ち止めたるは、わが舅。

 と、「六段目」で「五段目・山崎街道」での出来事を回顧するセリフとして語られます。
 この「山崎街道」の季節感というのが、「大序」と並んでメチャクチャだというのは、ぼくは桂米朝の『蛸芝居』のマクラで聞いた覚えがあるんですが、なんかもうそこらへんまで話しているととっちらかりすぎるので、また後日ということで。
【上方落語メモ第4集】その161 / 蛸芝居
 『仮名手本忠臣蔵』の全文は、読みにくいんですがこちらにあります。
「仮名手本忠臣蔵」テキストデータベース
 ということで、鹿政談の奉行には3つの説(というより、パターン)があるわけですが、それについては、こんな話がありました。
大和田落語会-会員の広場<鈴木和雄>
 「鹿政談」も上方噺であるが、古くから東京でも演じられており、今や東西の区別はない。奈良の鹿が話題であるから、裁くのは奈良町奉行であるが、米朝さんや金馬さんは根岸肥前守、寛政10から文化12(1798−1815)と言っているが、露の五郎さんは松野河内守,宝永1から享保2(1704−1717)であり、この人は忠臣蔵の天野屋利兵衛を裁いた奉行だといっている。噺の方は皆さんご存知の通り。

鹿政談
 米朝は、レコードの解説などで、この噺を東京の6代目三遊亭圓生から習ったことを明らかにしている。(そのため、米朝は、圓生の生前、一般的な上方のかたちとは違って、奉行を根岸肥前守でやりっていた。近年では、奉行を曲淵甲斐守とする、上方本来のかたちに直してやっている。)

 まぁ実は圓生は大阪の生まれなんですが、
三遊亭圓生 - Wikipedia
 この人の話も話していると長くなるのでまたの機会にして。
 一応ざっと整理しますと、
1・松野河内守…柳家一門
2・曲淵甲斐守…上方の昔からのスタイル
3・根岸肥前守…6代目三遊亭圓生から米朝、および三遊亭一門
 という感じでしょうか。東京だと松野・根岸、大阪だと曲淵・根岸のパターンの落語が聞ける、ということですかね。
 しかし実際には、活躍した時代がおのおの50年ずつぐらいも違っている3人の奉行が、いずれも『鹿政談』の中では名奉行の名前として挙げられている、というのは面白いですね。
奉行の人事異動
北町奉行所 松野河内守助義 宝永 1(1704)10.1〜享保 2(1717)2.2
北町奉行所 曲渕甲斐守景漸 明和 6(1769) 8・15〜天明 7(1787)6.1
南町奉行所 根岸肥前守鎮衛 寛政10(1798)11.11〜文化12(1815)11.9

 いや本当に、少し調べて書く、というのは楽しいです((すでにこうなると「日記」じゃないわけですが))。
 「根岸肥前守鎮衛」についてはあんまり言及してなかったですね。
喧嘩奉行 根岸肥前守
「落語の鹿政談に出てくる根岸肥前守とは、宮部みゆきの『かまいたち』に出てくる、あのお奉行さんのことですか?」

肥前守と時代
根岸鎮衛 - Wikipedia
 なお、鎮衛の著として有名な耳袋(耳嚢)は、鎮衛が佐渡奉行在任中の1885年(天明5年)頃から亡くなる直前まで30年以上に亘って書き溜めた世間話の随筆集である。同僚や古老から聞き取った珍談・奇談が記録され、全10巻1000編もの膨大な量に及ぶ。内容は、公方から町人層まで身分を問わず様々な人々についての事柄などについてである。
 下級幕吏出身のくだけた人物で、大岡忠相や遠山景元とはまた違った意味で講談で注目を集め、平岩弓枝の「はやぶさ新八御用帳」シリーズをはじめ、小説・テレビ時代劇で題材とされている。

 あとはまぁ、いろいろと。
 蛇足ですが、松野河内守・曲渕甲斐守・根岸肥前守のいずれも、奈良奉行をやったことがある、ということは確認できませんでした((むしろ「やったことがなかった」ということが確認できた、というほうが正確なぐらいです))。ちゃんとそれなりの図書館に行けば、そんなのはすぐに調べられることなんですが、そこはまぁ「少し調べて書」いているだけのことなのでお許しを。